四大組織論 グルーピティズム
四大組織論の1つめは「グルーピティズム」です
グルーピティズム、ポリスティズム、ナショナリズム、ワールティズムのうち、最初の四大組織論です
グルーピティズムとは?
グルーピティズムとは人類最古の組織のかたちです
人類の歴史に関してはいろいろな定義があると思われますが、約数百万年の歴史があります(定義によってほかの説もあると思います)
この人類数百万年の歴史のほぼすべてがグルーピティズムです
人類誕生から1万年前までがグルーピティズムで、そのあとの1万年から現在がグルーピティズム以外の歴史です
つまり99%以上がグルーピティズムなのです
人間の人生で例えると、ある人が100歳まで生きたとします
0歳から99歳までグルーピティズムで99歳からポリスティズムが始まるようなイメージです
そのため人間は現在(現在はナショナリズムです)でもグルーピティズムでものを考えてしまいます
これを別に言い方で言うと「善意の道徳」です
我々人間はどうしてもグルーピティズムや善意の道徳でものを考えてしまいます
その理由は人類の歴史のほぼすべてがこのグルーピティズムだからです
グルーピティズムの規準
グルーピティズムについてもっと迫ってみましょう
グルーピティズムの規準、なにをもってグルーピティズムかについて迫ってみましょう
グルーピティズムの規準、もっというと四大組織論の規準は、仲間か仲間以外かを分ける基準といえます
四大組織論はそれぞれ仲間かどうかの基準がちがいます
グルーピティズムの仲間の基準は「知っているかどうか」です
「知っている人」は仲間で、「知らない人」は仲間とは考えません
なぜグルーピティズムはこのような考え方をしているかというと、それは食料問題が原因です
もともとグルーピティズムしか不可能だった
グルーピティズムがなぜ何百万年もつづき1万年前に終わったのでしょうか?
それは食料が原因です
グルーピティズムの間はずっと我々人類は狩猟採集生活をしていました
今の我々の生活とはだいぶ違いますね
我々は農業や畜産などはここ1万年以降の話であって、それまでは山でイノシシやウサギを狩ったり、食べれそうな植物を採集したりして生活していました
海や川が近くにあれば、そこで魚などを採って食べていたと思います
こんな生活を数百万年していました
これがグルーピティズムの原因です
例えばある基準だと100万年前に東京都で狩猟採集生活をする場合、2000人~4000人分の食料しかないそうです
いまの東京都の人口は約1400万人ですので、その1万分の1または5000分の1くらいの人数しか東京都に住むことができないのです
なぜなら食料がそれしかないからです
さらに一か所に住むことも出来ません
例えば東京都千代田区の中心あたりに2000人~4000人の集落があっても食料がたりません
100万年前は電車も自動車も自転車もありません
そして道も舗装されていないので、歩きやすくありません
その状態で徒歩しかないので遠くへは簡単に移動はできません
考古学者ではないので詳しい解説はできませんが、千代田区の中心あたりに集落があったら千代田区一帯あたりで狩猟採集をしないと日暮れまでには帰ってこれないのではないでしょうか
つまり1つの集落に数人~数十人くらいしか集まれなかったと思われます
もう少し大きな集落もあったかもしれませんが、この人数だとみんながみんなのことを知っています
狩猟採集生活が原因で数百万年ずっと数人~数十人以上の人間が集まれなかったのです
知っている人がずっと仲間だった
狩猟採集生活で食料が数人~数十人しかなかったせいで、ずっと人類はそれくらいの人数で生活していたと思われます
そしてその集落の人間が仲間だったのです
現代で例えるなら生まれてから死ぬまでずっと離れず生活している家族
幼馴染で幼稚園が一緒で小学校、中学校、高校と大学も一緒、その後の就職先の会社と転職先の会社も一緒で、さらに老後の老人ホームも一緒
このくらい濃密な人間関係です
この人たちが「仲間」、それ以外の人たちが「仲間外」です
今でもずっとグルーピティズム
人類の歴史の99%…というより99.9%かもしれませんが、ずっとグルーピティズムだったせいで我々人類は未だにグルーピティズムでものを考えてしまいます
自分自身は当然大事ですが、それだけではなく家族や友人も大事な「仲間」だと考えます
しかしそれ以外の人はあなたは大事でしょうか?
もちろんある程度会ったことのない人でも、困っていればかわいそうと思うこともありますし、社会問題として戦争を反対したりすることもあります
しかし大半の人は多少はそんな感情はあっても、その人たちを「仲間」とは思いません
我々人類はグルーピティズムの頭のまま、グルーピティズム以外の組織システムで生きているのです