「善意の道徳」は人間関係の道徳
前回で善意の道徳の説明を少ししました
善意の道徳はふつう層(ふつうの人)の人間関係の道徳だと話しました
ふつうの人は仲の良い人とそうでない人と同じくらい好意を持たず、差異をつけると話しました
今回はいろいろな例を交えて説明したいと思います
恋人への「善意の道徳」
恋人への対応で善意の道徳を見てみましょう
あなたは女性でA男さんと付き合っています
A男さんにはB男という親友がいます
このときあなたから見たA男とB男は次のようになります
A男は彼氏なので、仲間となります 好意は100とします(数値はイメージです)
B男は彼氏の友達なので、あなたからすれば仲間ではありません
あなたの直接の仲間ではないですが、仲間のA男の親友なので知り合いになります
B男への好意は10とします
あなたはA男は彼氏でうまくいってるので、100の好意をもっていて
B男はその彼氏の親友なので、彼氏をたてるつもりで10の好意をもっています
あなたはA男が好きなのでA男の親友のB男とも、ある程度うまくやっていきたいと思っています
平等にしたらどうなるか
ではあなたが人類みな平等だという強烈な意識にかられ、A男とB男を平等に扱ってみましょう
さてどうなるでしょうか?
あなたがA男とB男を「どちらも同じ人間じゃん」と思ったとします
確かにどちらも人間で客観的には平等なのかもしれません
しかしA男はどう思うでしょう?
クリスマスパーティー
あなたは毎年クリスマスには彼氏のA男と2人でクリスマスパーティーをしていました
しかし今年はB男も呼ぼうと言いました
彼氏のA男はどう思うでしょう?
クリスマスプレゼントも同じ
あなたはA男に毎年クリスマスプレゼントをあげていました
今年は3万円のジャケットをプレゼントします
しかし今年のあなたはB男にも、同じ3万円のジャケットをプレゼントしました
彼氏のA男はどう思うでしょう?
3人で夜を過ごす?
3人で楽しく!?クリスマスパーティーをしたあと
あなたは3人で一夜を共に過ごすことにしました
A男は彼氏ですが、平等にB男とも一夜を過ごします
彼氏のA男はどう思うでしょう?
A男からすると裏切り行為
あなたは平等の精神にめざめA男とB男を平等にあつかいました
しかしA男からすると完全に裏切り行為です
A男からすると
仲間である自分には100の好意を
知り合いであるB男には10の好意を
また無関係の赤の他人には1の好意を
あなたにしてほしいのではないでしょうか?
世間でいわれている平等を本当にそのまんま実行してしまうと、あなたのプライベートは完全に破綻してしまいます
福祉と相性がわるい!?
実は善意の道徳は、社会通念や福祉と非常に相性が悪いです
一般的な社会通念では「みんなで仲良くしよう」「家族や友達以外の人も愛しましょう」という非常に美しいスローガンを唱えることがあります
しかしこれは現状では実は不可能といえます
家族を100大事にして、他人は0ではなく1くらいは好意を持ってね!という内容なら、ふつう層(ふつうの人)なら可能です
しかし同じ扱いをすることはできません
それを無理やり「みんなに好意をもちましょう!」と強制したり、または勝手に「みんなに好意を持っている」という事になってしまうと、実は大変な問題が発生します
その1つが福祉構造の1つ「善意遠近法」といいます
このシリーズのあと 善意の道徳 → 善意遠近法 → 善意障害 の順番で善意が機能していないことを書いていきたいと思います
次回も善意の道徳
ですが次回は善意の道徳についてもう1つ例をあげてお話ししたいと思います