vol.26 善意遠近法 その3

2024年12月18日水曜日

福祉構造

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善意遠近法の続き

前回のブログの続きです

前回では善意遠近法の説明のため、第三者の好意を数値化しました

TVメディアなどで世論形成をすると「いいことするって素晴らしい」という方向に第三者が考えることが多いと説明しました

第三者の当事者への好意が0→1→2と上がりました

これはいいことなんでしょうか?

前回のブログはこちら


善意遠近法による第三者のかんちがい

TVメディアなどでボランティアや弱者を助けよう!などのスローガンの番組が組まれ、第三者も乗り気になる人が多数出てきます

ここで善意遠近法が凶悪に機能します

ふたたび第三者の好意を数値化してみましょう

もともと0だった好意が、なんと2まで上昇しています

これを第三者は「すごいいいことした!」と勘違いしてしまうのです

このかんちがいを「善意遠近法」といいます


では第三者はどう勘違いしてしまうのでしょう?

通常は好意が上がっているので、いいことなんじゃと思ってしまうのではないでしょうか?

ではもう1度好意を数値化させた図を見てみましょう

友人への好意は 100

赤の他人(当事者)への好意は 0 → 1 → 2


では次に福祉サービスを成功させるのに必要な好意をみてみましょう

福祉サービス自体は好意でやると非常に失敗しやすいのですが、必要なレベルの好意をあえていえば 100 となります

好意 100 というのは大事な友人が困っていて、貯金をはたいて助けるとか、命がけで助けるとかそういうレベルになります

必要な好意が100とすると、第三者がもっている好意はいくつでしょうか?

それはたったの2なのです

数値で単純比較すると50分の1しかないのです

50分の1しかないのに、なぜ第三者は「すごいいいこをした」と思い込んでしまうのでしょうか?

ここに善意遠近法の恐ろしさがあります


善意遠近法の恐ろしさ

ここに善意遠近法の恐ろしさがあります

なぜ第三者は「すごいいいことをした」と感じてしまうかというと、それは前のシリーズで説明した「善意の道徳」が原因です

行政の政策や福祉サービスの大半は、自分の知り合いではなく地震の被災者や、生活保護の人たちなど不特定多数の人々が対象です

被災者や生活保護の人たちが全体1%だとしても1億人の1%ですから100万人ものたくさんの人間が対象になります

つまり第三者からすると「仲間」でもなく「知り合い」でもない、会ったこともないしこれから会うこともない「無関係者」が対象になるのです

この「無関係者」に対しては好意は0しか元々ありません

優しいしとでも好意は1や2しかありません

この「無関係者」に対して好意が100や50あることは、大事な友人や恋人と赤の他人を同じに扱うという事です

ふつうの人(ふつう層)からしたらそれは不道徳なのです

仮にあなたが高校生だとして、あなたの親が息子であるあなたと、赤の他人の高校生両方に学費を出していたら、あなたはどう思いますか?

理論上は素晴らしい親かもしれませんが、あなたは不誠実だと感じるはずです

善意の道徳は「仲間」と「無関係者」を同じにあつかう事はよしとしません


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