善意遠近法の続き
前回のブログの続きです
前回では善意遠近法の説明のため、第三者の好意を数値化しました
TVメディアなどで世論形成をすると「いいことするって素晴らしい」という方向に第三者が考えることが多いと説明しました
第三者の当事者への好意が0→1→2と上がりました
これはいいことなんでしょうか?
善意遠近法による第三者のかんちがい
TVメディアなどでボランティアや弱者を助けよう!などのスローガンの番組が組まれ、第三者も乗り気になる人が多数出てきます
ここで善意遠近法が凶悪に機能します
ふたたび第三者の好意を数値化してみましょう
もともと0だった好意が、なんと2まで上昇しています
これを第三者は「すごいいいことした!」と勘違いしてしまうのです
このかんちがいを「善意遠近法」といいます
では第三者はどう勘違いしてしまうのでしょう?
通常は好意が上がっているので、いいことなんじゃと思ってしまうのではないでしょうか?
ではもう1度好意を数値化させた図を見てみましょう
友人への好意は 100
赤の他人(当事者)への好意は 0 → 1 → 2
では次に福祉サービスを成功させるのに必要な好意をみてみましょう
福祉サービス自体は好意でやると非常に失敗しやすいのですが、必要なレベルの好意をあえていえば 100 となります
好意 100 というのは大事な友人が困っていて、貯金をはたいて助けるとか、命がけで助けるとかそういうレベルになります
必要な好意が100とすると、第三者がもっている好意はいくつでしょうか?
それはたったの2なのです
数値で単純比較すると50分の1しかないのです
50分の1しかないのに、なぜ第三者は「すごいいいこをした」と思い込んでしまうのでしょうか?
ここに善意遠近法の恐ろしさがあります
善意遠近法の恐ろしさ
ここに善意遠近法の恐ろしさがあります
なぜ第三者は「すごいいいことをした」と感じてしまうかというと、それは前のシリーズで説明した「善意の道徳」が原因です
行政の政策や福祉サービスの大半は、自分の知り合いではなく地震の被災者や、生活保護の人たちなど不特定多数の人々が対象です
被災者や生活保護の人たちが全体1%だとしても1億人の1%ですから100万人ものたくさんの人間が対象になります
つまり第三者からすると「仲間」でもなく「知り合い」でもない、会ったこともないしこれから会うこともない「無関係者」が対象になるのです
この「無関係者」に対しては好意は0しか元々ありません
優しいしとでも好意は1や2しかありません
この「無関係者」に対して好意が100や50あることは、大事な友人や恋人と赤の他人を同じに扱うという事です
ふつうの人(ふつう層)からしたらそれは不道徳なのです
仮にあなたが高校生だとして、あなたの親が息子であるあなたと、赤の他人の高校生両方に学費を出していたら、あなたはどう思いますか?
理論上は素晴らしい親かもしれませんが、あなたは不誠実だと感じるはずです
善意の道徳は「仲間」と「無関係者」を同じにあつかう事はよしとしません