「エンターテイメント性」とはなにか?
三大市場原理論を説明してきました
1つめが、当事者型市場原理
2つめが、サービス提供者型市場原理
3つめが、第三者型市場原理です
そして市場原理基準も説明してきました
1つめの当事者型市場原理の市場原理基準「実益」
2つめのサービス提供者型市場原理の市場原理基準「整合性」です
今回は第三者型市場原理の市場原理基準「エンターテイメント性」の説明です
市場原理基準
もう1度市場原理基準についてお話したいと思います
市場原理基準とは、その市場原理が動く基準となる考え方です
当事者はどのような基準で動くかというと「実益」を基準に動きます
例えば今テレビを見ようとしている時に、あなたはどのチャンネルをえらびますか?
好みは人それぞれですが選ぶ基準はみんな一緒です
それは自分の「実益」になるチャンネルです
「面白い番組」または「知りたい情報が知れる番組」大半の人はこんな基準でチャンネルを選ぶはずです
つまり自分の「実益」になるチャンネルを当事者は選ぶという事です
サービス提供者はどのような基準で動くかというと、「整合性」を基準に動きます
あなたが時給1000円でアルバイトをしていたとします
あなたは10時間働いて1万円をもらいました
あなたの同僚はあなたと同じ仕事をして、8時間働いて1万円をもらいました
あなたはこれを不公平と思わないでしょうか?
これが「整合性」です
この2つの市場原理基準は前に説明しました
今回は第三者型市場原理の市場原理基準「エンターテイメント性」について説明します
病院で例えてみる
今回は病院で例えてみます
ある地方に1つの病院があります
その地方には病院がそこしかありません
その地域の人は病気になった場合、その病院にいくしかないのです
しかしその病院は保険がいっさいききません
風邪で病院に行っても5万円は費用がかかってしまいます
盲腸で手術してちょっと入院しようものなら、安くても500万円はかかってしまうという病院です
そこに盲腸の患者さんが来院しました
その患者さんはまったくお金がありません
盲腸の手術をすれば助かるのですが、手術費用をもっていないのです
その病院はそこそこ大きな病院で医師は100人ほどいます
その100人の医師が交代で365日24時間体制で患者を治療しています
その100人の医師の1人にA医師という医師がいます
A医師の勤務時間は、毎週月曜日の朝の9時から朝の10時までの1時間です
そのA医師の勤務時間に一人の患者がやってきました
先ほど出てきた盲腸の患者さんです
A医師は患者さんの事情を聞きました
A医師は言いました
A医師「なるほど盲腸の手術をされたいんですね」
A医師「しかし手術費用がないんですね」と…
患者は言いました
患者「そうなんです、どうしたらいいのか…」
A医師は再び言いました
A医師「私は医者です。患者を見捨てるわけにはいきません」
A医師「私が院長に掛け合って、手術費用を安くできるよう交渉してみます」
A医師「でももし院長が首を縦に振らなかったら、私が手術費用を出します」
患者は言いました
患者「そんな…先生…」
A医師は言います
A医師「このままでは、あなたは死んでしまいます」
患者「でも…さすがにそれは…」
A医師「私の職業を知っていますか?」
患者「え?お医者様ですよね?」
A医師「そうです!私は医者です!」
A医師「患者を治すのが医者ですよ」
A医師「お金がないからって死んじゃだめです!」
患者「先生……ありがとうございます…」
私は文才がないのであんまり感動しなかったかもしれませんが、この話をもしも才能のある映画監督が映画にしたら、あなたは感動しないでしょうか?
しかしこの感動こそが、福祉を機能させなくする大きな原因の1つなのです
この話は本当にいい話でしょうか?
この話は本当にいい話でしょうか?
「え!?いい話なんじゃないの?」と大半の方は思われたのではないでしょうか?
実はこの話は凶悪な落とし穴が潜んでいます
ではどう「いい話ではないか」説明していきましょう
三大市場原理論をつかってみていきましょう
物語としてみた場合
物語として見た場合はどうでしょうか?
この病院の話を映画化したとします
あなたはこの映画を見に来たお客さんです
この場合のそれぞれの立場を三大市場原理論で考えてみましょう
この物語に出てくるのは、盲腸を患っている患者とA医師ですね
この二人がメインキャストですね
当事者は誰かと言うと患者になります
サービス提供者はA医師になります
ではその映画を見に来た、あなたの立場はなんでしょうか?
あなたの立場は第三者です
つまりあなたは第三者型市場原理で動きます
第三者型市場原理の市場原理基準「エンターテイメント性」で動くのです
「エンターテイメント性」の1つとして感動性があります
この映画を見て感動できるかどうかが基準です
この映画は文才のない私と違って、一流の映画監督が映画を作っていますので感動は間違いなしです
患者としてみた場合
では次に患者としてみた場合について考えていきましょう
あなたは患者、つまり当事者です
当事者はどのような基準で動くかというと「実益」です
患者の「実益」は、どの程度あるのでしょうか?
A医師に当たれるか?
あなたは患者です
ただし前述の盲腸を患ってA医師に無料で手術してもらった患者ではありません
ただの一般の患者です
あなたは肺炎になっています
治療費は1000万円です
そしてあなたは1000万円を持っていません
さあA医師に当たれるでしょうか?
A医師に当たる確率
この病院でA医師に当たれるでしょうか?
この病院は365日24時間営業の病院です
いついっても診察をしてくれます
Aに医師の勤務時間は朝9時から朝10時までの1時間です
それ以外はA医師は勤務していません
月曜日に病院に行って、A医師に当たる確率は1日は24時間なので、24分の1です
パーセンテージに直すと約4.17%です
さらに月曜日しか勤務していないので、さらに7分の1の約0.6%になってしまいます
つまり200人の患者さんが病院に行って、そのうち一人しかA医師に当たらない計算になります
盲腸の患者さんが年間200人いたら、たった1人しか無料で受けることができないということです
99.5%の患者は500万円だすか、手術をあきらめているのが現状なのです
つまりA医師の存在は、患者全体からすると気休めにしかならないということです
この病院の現状
これがこの病院の現状です
365日24時間営業なのはいい病院かもしれませんが、治療費がとんでもない病院です
お金持ちはまだいいですが、一般の人はまず払えません
それでA医師だけたまたま無料で手術してくれただけなのです
なぜ感動したのか?
この病院が実際にあった場合
サービス提供者は 病院側
当事者は この地域の一般人
第三者は この地域以外の一般人 になります
この地域に住んでいる一般人からすれば、この病院は治療費が異常に高い病院です
この地域には、ここしか病院がないので住民は非常に困っています
しかしこの病院の現状とA医師の存在を知った第三者(この地域以外の一般人)は「A医師って素晴らしいね!」と感動する場合があります
たしかにA医師が、お金のない患者の治療を自腹でした事自体はけっして批判されることではないと思います
しかしだからといってこの病院の医療費が高額で、さらにこの地域に他の病院がないという問題が解決したかというと、全く解決していません
第三者は勝手に感動して、当事者の現地住民に「A医師がいてよかったね!」と、満面の笑みで喜んでしまう可能性があります
これは当事者型市場原理の市場原理基準「実益」と
第三者型市場原理の市場原理基準「エンターテイメント性」が相反していることが原因なのです
第三者型市場原理が強いと、第三者が感動したりするものが最優先されてしまうといった事がおきます
福祉業界も同じことが起こっている
実は福祉業界でも似たようなことがよく起こっています
行政やボランティアが行う福祉サービスの評価が、なぜか当事者ではなく第三者が行うことが多々あります
当事者から見たら、レベルの低い福祉サービスなのですが、第三者が高い評価をしてしまうと、そのサービスがそのままになってしまったりします
サービス提供者側の行政やボランティア団体も当事者の評価をあまり聞かず、第三者の多数派にむけて「我々はこのような素晴らしい福祉サービスをしています」と言って、当事者ではなく第三者を納得させることに力を入れていることがほとんどです
第三者型市場原理が強い場合、福祉サービスのレベルは停滞します